百耕資料館 粉本デジタルアーカイブ

諸派
木下応受・山口素絢・渡辺南岳・岡本豊彦・松村景文・河村文鳳・◇◇ 木下応受・山口素絢・渡辺南岳は円山派、岡本豊彦・松村景文は四条派を参照、河村文鳳(1779~1821)は、名は亀。字は馬声、駿声、五游。文鳳、首陽館、有毛などと号しました。山城(現京都府)出身。岸駒の弟子。岸駒門下でも古参格の有力門人であったと考えられます。岸駒のほか諸家に出入りして、円山四条派の画風などを融合させた独自の画風を確立しました。一時は岸駒に迫るほどの人気を得たと伝えられ、弟子も多く、岸派と別に一門をなすほどでした。本画(完成画)の遺作はあまり多く確認されていませんが、『文鳳画譜』『文鳳漢画』など、その原画による多くの画譜が残されています。
山口素絢・東東寅・吉村孝敬・中島来章・矢野夜潮・西村楠亭・田中日華 山口素絢・吉村孝敬・中島来章は円山派、田中日華・東東寅は四条派を参照。西村楠亭(1755~1834)は、名は予章、字は士風、楠亭は号。京都で木綿縞織物を商う嶋屋庄右衛門の子として生まれ、応挙に師事しました。人物風俗画をよくしたほか、『絵本壬生扮戯尽』『楠亭画譜』『楠亭画譜 後編』といった著作を残しています。矢野夜潮(1782~1828)は、名は正敏。字は仲観。別号は物集女。絵図の制作を生業とし、代々長兵衛を名乗った矢野家二代目長兵衛の次男。円山派の山口素絢に師事し、花鳥・人物画を得意としました。
松村景文・岡本豊彦・森徹山 松村景文・岡本豊彦は四条派、森徹山は森派参照
酒井抱一・谷文晁・雪潭紹璞・鍬形蕙斎・春斎 谷文晁は文人画、酒井抱一・雪潭紹璞はその他を参照。鍬形蕙斎(北尾政美、1764~1824)は、本姓は赤羽。名は紹真。字は子景。通称三二郎。江戸の人。当初初代北尾重政に浮世絵をまなんで、北尾政美と名乗り、黄表紙を始めとする版本の挿絵、美人画や武者絵などの錦絵を制作しました。寛政6年(1794)美作(現岡山県)津山藩の御用絵師となり、同9年鍬形蕙斎と改名、狩野惟信の門人となって、以後は肉筆画と画譜に力をそそぎました。春斎は不詳。谷文晁の弟子の栗原春斎かと推定されます。
王原祁、藍瑛、魏之璜、王翬、浦上春琴 浦上春琴は文人画、藍瑛は中国人画家参照。王原祁(1642~1715)は、太倉(江蘇省)の人。字は茂京。号は麓台。清代初期の正統派の6人の大家「四王呉惲」の一人で、四王の筆頭格の王時敏の孫。祖父ややはり四王の王鑑より南宗画の伝統的山水画法を学び、清初の文人画風の典型をつくりました。王翬(1632~1717)も「四王呉惲」の一人。常熟(江蘇省)の人。字は石谷。号は耕烟外史、烏目山人、清暉士人など。はじめ四王の王鑑に画才を認められ、のちやはり四王の王時敏に学び、南北二宗の画風を集成して新様式を完成。その山水画は清代第一と称されました。魏之璜(1568 - 1647)は、中国(明末清初)の画家。字は考叔。南京(江蘇省)の人。山水・花卉画をよくしました。

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