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岸駒は、姓は佐伯氏、岸氏、名を駒、昌明。字は賁然。号は華陽、可観堂、同功館、虎頭館、天開館など。若い頃には蘭斎岸矩と称しました。生年については寛延2年(1749)説と宝暦6年(1756)説、出生地も金沢、高岡、富山などの説があって定説を見ません。定まった師はなく、独学で沈南蘋派を始めとする中国画、狩野派、洋風画を含む諸派の技法を研鑽したといわれ、京に上ってからは円山応挙にも師事して写生画を学んだらしいことが指摘されています。しかし、のち応挙と別れて「豪放」とされる独自の表現を確立、岸派の祖となりました。また、「虎の岸駒」と呼ばれ、迫真の虎の画で有名です。 |